有権者としての考え方

2005年01月24日 松野聖史

【要旨】
 1月23日(日)に岐阜県知事選挙が行われた。投票率は過去最低で、43.50%だということだ。誰が知事になるかというよりもむしろ、有権者が選挙に行かないほうが問題であると感じた。
【キーワード】
 岐阜県知事選挙 選挙 有権者 投票率 過去最低

 2005年1月23日(日)。午前7:00〜午後8:00。岐阜県知事選挙が行われた。梶原拓氏の長期にわたる政権の交代であるため、非常に興味を持って、今後どうなるかを見守っていた。午後10:43分。NHKニュースで、当確がでた。結構、早い段階での当確であったと思う。
 さて、一夜明けて、今日の新聞の見出しは、新知事と、知事選について目白押しである。どれどれと見ていく中で気になったことがあった。
 それは、過去最低の投票率という文字列。具体的には、43.50%だという。ちょっとまて。過半数すら、初めから無いではないか! 政権交代という、岐阜県民にとっては大きな一大事であるはずなのに、いったいどういうことなのか? 僕には、知事が誰になるというようなことの前に、投票率の少なさのほうが問題であると強く感じられた。
 朝のSHRで、生徒にそのことを訴える。「自分の父ちゃんや母ちゃん、兄ちゃん姉ちゃんは、選挙に行ったのか?」と。「投票率が過去最低とはいったいどういうことなんだ? 有権者として、今後の岐阜県民である大人として、それでいいのか? もし、選挙に行っていない大人がいたら、殴り飛ばしてよいぞ。選挙に行かないで大人ぶるなと文句をいってやれ。あと、2〜3年で、あんたたちも選挙権がある。そのときは、何があろうと、投票せよ。」熱弁したつもりだが、生徒たちにどう言葉が残るのだろうか。
 さて、大人であれば、税金を払っているであろう。その税金の使い道を決めるのが政治だ。岐阜県民であれば、県知事が岐阜県を左右することは承知のはずである。自分たちの要求をかなえてくれるような人を知事として選ぶのは当然の権利である。また、選ばれた知事は、公約を守り、県民の期待にこたえるのが義務だろう。ところが、このところの、投票率の低さはとても気になっていた。街頭インタビューなどでは「誰がなっても変わらないから投票しても無駄だ」というようなことを平気でいう若者がいたのが印象に残っている。投票したら変わるぞ! たとえば、誰にも入れたくなかったのであれば、行って「該当者なし」とか白紙票を投票すればよいのだ。無効票になるが、無効票がもし43.50%以外の人の考えであったら、過半数以上が無効票となるわけで、投票率100%中、過半数の票を得られた候補者がいないということになる。そういう結果になれば、それも大事な県民の意思だと思うし、「誰がなっても変わらない」というような結果にはならないはずだ。場合によっては、全候補が落選ということもありうるわけだ。
 有権者は、それを実行することができる。それができるのは有権者だけである。なのに、それを放棄するとは何事か。大人として、社会を生きる一員として、政治に参加しないということが間違っている。誰に入れるか、白紙にするかはおいておいて、とにかく、投票しなければ話が始まらない。後で文句を言うくらいなら、初めから文句を言うべきだ。そうならないように自ら動かねばならない。もし、投票したい候補者がいないのなら、選挙に行って白紙でもよいが、堂々と「該当者なし」とデカイ字で書けばいい。それが、県民の意思だし、それに対して選挙管理委員が「それでは困る」といおうものなら、選挙管理委員が間違っているのだから、戦えばよい。
 今回のこの低い投票率には、正直不安の色を隠せない。それだけ、岐阜県民が県政に無関心だとして片付けてよい問題ではないと思う。若者の投票が少ないというデータが出ているようだが、そちらも問題だ。このままでは、民主主義が根底から揺らいでいくのである。義務教育で、公民分野を学んでいるはずだ。参政権や民主主義、選挙の意味などを学んでその大切さを知っているはずである。しかし、現実の投票率は前述のとおりだ。
 高校で、今は大学入試がどうのこうのと生徒は入試ばかり気にしている。人間として、大人として、テストができたり高学歴になることの前に必要なことがまったく身についていないのでは話にならない。弱者が支配階級と戦って今の民主主義を勝ち取ってきた人類の歴史を学んでいるはずであるはずなのに、大変遺憾である。
 教育に携わるものとして、この点だけには目をつぶれない。目の前の高校生たちは、ゆとり教育の世代であるが、このことをどのように考えているのだろうか。願わくは、問題であることをよく理解し、彼らが大人になった時には、選挙や政治に積極的に関わるようになってほしいものである。そうなってくれるように僕のできることは、投票率の低さと、その結果引き起こされる問題と課題を語ることであるから、今後も続けてゆかねばならないと強く感じた。

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