TVアニメ『ブラック・ジャック』

2004年11月15日 松野聖史

【要旨】
 この秋より、読売テレビ系列で月曜日の午後7:00〜手塚治虫原作の「ブラック・ジャック」のアニメが始まった。この1ヶ月くらい見ていて、演出やキャラクターデザイン等で気づいたことなどを述べた。
【キーワード】
 アニメ ブラック・ジャック キャラクターデザイン 監督 演出

 昨年の年末だったか、「ブラック・ジャックスペシャル」と称して、2時間の命に関する4話の放送がなされたのが記憶に新しい。同タイトルのアニメ化は、実はOVAの世界では成されており、秋田書店より発売されている。杉野氏の劇画調のキャラクターデザインと、出崎氏の静止画を駆使した迫力ある演出が印象的だった。
 年末スペシャルでは、かなりキャラクターデザインが原作に近づき、コミカルな印象を受けた。話の内容が重い分、こちらのほうが安心して見られたように思う。まさか、TVシリーズになって帰ってくるとは思いもしなかった。
 さて、日本のアニメ界はどうなっているのだろう。その昔は、『アニメ大国日本』の異名を取った時代もあった。手塚氏の生きている間、ディズニーと張り合えるのは日本のアニメ界だけであるといわれていた。目とか口のみの動きだけのセル画の部分アニメや、何度も同じシーンの使いまわし(歩くシーンや、変身シーンなど)は、日本独自のものであり、手塚氏がアトムを毎週放送するため時間を掛けなくてもアニメーションできる方法として考案されたものであるのは有名だ。その日本のアニメ界も、近頃は振るわない。まず、アニメの世界では、なかなか監督クラスにはなれないのだ。門戸をたたき、はじめは、セル画の色塗りばかりをする。原画がかけるようになるまでにはかなりの年月を要する。給料などないようなものなので、よほどの情熱と根気がなければ続かない。その後キャラクターデザインや動画を経て、監督になるという寸法のようだ。しかも、このところ、エンディングテロップを見ていて思うのだが、アジアに下請けを出しているものが多すぎる。たしかに人件費が安く、アニメを安く作るには問題なさそうだが、あまりにアジアに下請けを出したため、技術の流出もなされてしまったばかりか、日本の若者に技術が身につかないという結果を生んでしまった。もはや、日本は『アニメ大国』ではなくなりつつあるようだ。
 そういう中において、TVアニメ「ブラック・ジャック」は非常に興味深い制作方法を取っていると思う。まず、キャラクターデザイン。神村氏が「メインキャラクターデザイン」とオープニングで出るものの、本編はエンディングテロップを見る限りは毎回キャラクターデザインが異なるようだ。統一性がないと思われるが、いろんな人が自分のキャラクターデザインで勝負できるという試験的な試みがなされているのではないか。非常に、毎回のキャラクターデザインが楽しみである。
 監督は、手塚氏の息子の眞氏。しかし、エンディングテロップには氏の名前などない。もともと、眞氏はアニメ世界の人間ではないのに、なぜ監督なのだろう? と疑問に思ったが、やはり、直接本編には関わっていないようである。毎回、監督や、演出も替わり、まったく統一性のないアニメに仕上がっていることを見るに、実際最終チェックはしていないのではなかろうか。
 しかし、監督といえば、そのアニメの最高責任者だ。眞氏の監督振りはおそらく、次のような言葉であわらされるのではないかと思う。・・・というか、そうであって欲しい。「私が全責任を取るので、すべてあなたに任せる」。
 どんな世界でも、若手を育て、技術やノウハウを伝授し、さらに新しいものを創造するには、若者の仕事を、信頼し、自由にやらせてみることが必要だと思う。そして、失敗したら、そのときは、代わりにすべて責任を取ってやれるような上司でないといけない。昨今、自分がかわいい上司ばかりになってきている。自分が若かりし頃の上司の姿をなぜ自分は演じられないのだろうか。自分がここまで成長できたのはいったい誰のおかげなのか。人間、いつまでも先頭にたってはいられない。もしかしたら明日コロッと逝くかもしれない。そんな中、自分の今しなければ成らないこととはなんだろうか。それは、後継者を育てることである。人類は昔からそうしてきた。大人は子どもに自分たちのすべてを伝えてきた。限りある命の中で、知識や技術は永遠に伝わっていくのだ。さらに、伝わる中で新たな発見や工夫がなされ、人類の未来に貢献できるのである。自分の身を守り、地位と名声を守りつづけようとするのは世間的評価はいいかもしれないが、人類の発展という観点から見ると最悪な行動だといえよう。
眞氏の方法はそういった考えに基づいているのではないかと思う。このアニメ界を立て直すために、彼が立ち上がったのかもしれない。ぜひそうであって欲しいと思いつつ、僕は、毎週楽しみに見ているのだ。

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