JAL福岡緊急着陸

2004年10月17日 松野聖史

【要旨】
 修学旅行の帰りの飛行機(JAL3256便)那覇発名古屋行の福岡緊急着陸と、その後各務原までいかにして帰ったかの記録。特に地上での行動は報道されていないため記録した。
【キーワード】
 JAL 3256 那覇 名古屋 福岡 エンジントラブル 緊急着陸 JR

 那覇発。12時45分。そもそも、その時間が遅れたことからこの一連の事件が始まったのかもしれない・・・。
 沖縄修学旅行最終日。午前中、首里城、国際通りの研修を済ませ、12:00分に那覇空港に到着。全部の2年生の生徒ではなく、半分の120名。12時45分発の飛行機に乗る予定であった。搭乗口は28番ゲート。離れた場所に移動するゲートであり、12:20分から搭乗開始の予定だった。ところが、「準備が整っておりません」とアナウンスが有り、またされ、12:50分に登場開始。すでに5分出発が遅れた。
 13:10 那覇空港発。遅れた理由は機内アナウンスにて「機内清掃のため」と。
 13:20 離陸後3回高度が急に落ちる。大変気持ち悪い思いをしたので記憶に残っている。
       台風の風の影響だと思ったがこのときに、どうも左のエンジンが止まったらしい。
 13:40 なかなかシートベルト着用のランプが消えない。雲よりちょっとしか高度がなく、
       低いなぁへんだなぁと感じ始めた。(いつも来るはずの耳が痛くなる現象が来なかったため)
 14:00 機内アナウンス「機長の○×です。本飛行機は、現在奄美大島上空です。離陸後エンジンにトラブルが発生しました。
       左のエンジンが停止しております。飛行および安全には問題が有りませんが、十分な燃料がありませんので、
       ただいまより福岡空港に臨時着陸いたします。(那覇は風が強く戻れない)現在の予定では14:50分着です。」
       というような内容が流れた。"安全"らしいことが強調されたので、機内はパニックにならなかった。
 14:05 機長「ただいまから、15分間ベルト着用のランプを消しますので、お手洗い等をお済ませください。」
       わずかな休息が与えられた。実際には30分以上あった。旅行社が地上スタッフと連絡を取る。
 14:40 機長「現在の予定では14:55分に福岡空港に着陸予定です。着陸にもまったく問題は有りません。ただいまより
       15分間で着陸する予定です。」シートベルト着用ランプが付き、着陸始める。ゆっくりゆっくり高度が下がる。左に旋回。
       高度が下がる。左に旋回。高度が下がる・・・。これを繰り返し、着陸はとても安全だった。
      (左のエンジンが故障のためか左旋回ばかりでコマのように回転着陸したようだった。)
 15:00 機内アナウンス「おかげさまで、無事に福岡空港に着陸いたしました。」続いて整備士の説明「左のエンジントラブルで
       ・・・本日の飛行機は満席の為、JRをご利用ください。」飛行機より降り、少し広い場所で全員待機。
       校長より「いまからJRで各務原まで帰宅する」と説明。全員に代替チケットが配られる。JALの女性職員の案内のもと、
       手荷物をとりにむかう。空港出口には報道陣が押し寄せ写真を撮られた。
 さて、ここからが報道されていない部分だ。実際には地下鉄→JRレールスター→JRひかり→観光バス→学校という順路だ。なかなかいろいろなことがあった。順に述べていこう。
 16:04 地下鉄乗車。JAL職員は、地下鉄入り口まで案内してくれる。その後は添乗員のメガホンと先頭を切る校長と僕で
       生徒の集団を引き連れた。3クラスで一つの電車に乗れたのが幸い。全員博多駅着。そのままJRの改札を抜け、
       ホームへ。
 16:30 ひかりレールスター新大阪行きに乗車。この前にのぞみが出ているが、代替チケットを正式チケットに交換する時間が
       かかったため見送らざるをえなかった。レールスターの自由席は少なく、立っている生徒も多かった。
       体調が悪くなる生徒も出てくる。
 18:00 広島通過くらいに、教員打ち合わせ。6号車渡り廊下。校長および学年主任より、今後の説明を受ける。とにかく早く
       生徒を座らせたいと、姫路で乗り換えることになる。また、弁当を京都で手配できた。
      (新大阪では断られたそうだ)この後担任が自分のクラスの生徒に歩いてそれぞれ説明する。どの号車に乗っているか
       分らないのでなかなか大変だった。自由席をすべて回る。
 18:49 姫路着。レールスターより下車。
 19:02 ひかり326。東京行きに乗車。今回は1〜4号車の自由席に生徒をまとめてのせる。1〜2号車はかなり開いている
       席も多く全員いすに座ることができたのでよかった。
 20:00 京都。弁当搬入。生徒が2号車までとりにくる。ハトヤフーズの弁当だった。「京ごのみ」パックの緑茶つき。
       幕の内っぽかった。賞味期限は18日4時。
 20:45 岐阜羽島着。観光バスにて学校まで。
 21:40 学校着。途中、高速(羽島〜各務原)使用。
 今回のJALがしてくれた代替サービスは、地下鉄とJRの代替切符の発行。JAL職員による地下鉄入り口までの案内。交渉の末の弁当代。
 JRには連絡がされておらず、正式切符への変更手続きで時間がかかった、レールスター内で「この列車は修学旅行専用ではありません。代表者の方・・・」と呼び出しを受けた。
 ツアー旅行社の添乗員さんは冷静に次の場所までの的確な誘導、手続きなどをこなしていたのが印象的だった。
 今回幸いだったのが、学校長と、学年主任、ツアー旅行者の添乗員の責任者、看護士がたまたま同乗していたことなのではないかと思う。とくに、添乗員の責任者のベテランの方のすばやい対応や、学校長がその場での判断をされたため、弁当の手配などがうまくいったのではないかと思う。生徒の体調も、看護士がいたので気を配ってくださり、同行していた写真屋さんも若い方でいろいろとお手伝いをしてくださった。
 生徒たちは文句ばかり言って、重い荷物を持ってJRの旅を味わったわけだが、修学旅行の2部と考え、思い出に残るだろう、修学旅行は全員無事に帰宅できたのでよかった。
 電車の中で文句を言って「JALにはもう乗らない」などと言っているのを押さえ、「一度しかない人生なんだから、何でもプラス思考で考えようよ。沖縄のほかに、博多も、姫路も、京都の駅弁も、岐阜羽島も味わえるんだから。」と考え方を伝授したりした。事実、博多になかなか行く機会はないだろうし、飛行機からの風景も九州を北上するルートで見られたし、福岡空港も、地下鉄も経験できた。報道陣に囲まれる体験もできたし、博多明太子の土産を買うこともできた子もいる。
 生徒にとっては沖縄よりも、恐怖の飛行機体験やその後の陸路でのことが思い出に残ったかもしれない。同窓会ではきっとこの経験を語れる日が来るのかもしれない。
 かく言う僕も、修学旅行引率の体験は初めてのうえ、この大事件に巡り会って、いろいろな経験ができた。旅行者の人や校長らの臨機応変な行動にいろいろなことを学んだと思う。緊急時に人間の器が試されると常日頃から思うことなのだが、今回のようなことで、また一つ器が大きく慣れたのではと自負している。
 しかし、あの飛行機での体験は・・・。う〜む。2度と経験したくないなぁ。安全に着陸できたのを今は喜んでいる。

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