団結することの意味

2004年8月20日 松野聖史

【要旨】
 今日、夜に懐石料理を食べながら日頃の鬱憤を晴らす会(仮称?)に参加したときの話題に出てきたことで、団結により上を実際に動かしたという話について考えたことを述べた。主題は、タイトル同様、団結することの意味である。
【キーワード】
 団結 団体 署名 運動 改革

 今夜、懐石料理を食べながら日頃の鬱憤を晴らす会(仮称?)に参加した。いつものメンバーであって、気さくな話ができたのがなかなかよかった。そのときの話題の中に出てきた団結することで上を動かしたというような話について思ったことがある。
 その話は、とある法人化されたばかりの保育園の職員に関する話であった。PTAが団結して、署名運動をし、保育士の資格をもたない園長が赴任してくるという予定があったものを変更し、保育士を退職した人を行政に探し出させ、現在はその人が園長になっているという結果を勝ち取ったというものだ。行政にPTAが団結力を示し、署名という手段をもって望んだという例である。
・・・署名といえば、僕が高校のときの服部剛丈くんの事件を思いだす。たまたまクラスメイトであったため、署名を呼びかけ、あちこちにお願いをし、多くの署名を集めたことがある。結果的には、クリントン大統領に服部夫妻がその署名を直接手渡し、ブレディー法案という法律案が可決されたというところまで世の中を動かせた。
 ここでは、団結することで見事なにかしらの変化を勝ち取った例ばかりあげているので、団結することが大切だと主張したいのではないかと思うかもしれない。しかし、僕はそうとは言わない。
 つまり、もともと人間は個人個人、一人一人がそれぞれ異なる考え方を持っているのであるから、無理に自分の意見をねじ曲げてまで団結する意味があるのであろうかということが今回の主題だ。
 さて、たとえば、自分が気に入らない、間違っていると感じていることが目の前にあったとしよう。いつまでもそのままで我慢していてはどれだけ経とうとも変わることがないので、アクションを起こしたとする。結果的に、一人だけ他とは違うことをはじめることになるわけだ。日本の社会は、それを見守ってくれるようなすばらしい社会ではないので、しばらくするとバッシングがくる。バッシングをしているほうの人でももしかしたら、あなたの方法に賛成かもしれないのだが、世間が怖いのでバッシングしてしまう。いじめと同じような心情だ。そこで、あなたは、何が起ころうとも自分の信じる方法を貫き通せるか問題になってくるわけだ。
 そこで、同じような考え方を持つ人が現れたとする。そうしたときに、「2人で戦っていこう!」と団結するようになる。それが、どんどん仲間が増えてゆくと、おおきな団結組織になってゆく。聞こえはいいのだが、大きな問題もある。はじめの2〜3人体制のうちは、それぞれの共通する目的にみんなが一致団結できると思う。しかし、人数が増えれば増えるほど、かえって、自分と違う意見に押し流されるようになったりはしないだろうか。
 団結した少人数集団でも、やはり、いじめ同様の心理が働くはずだ。この団体の中にいるには、自分と違う意見であっても、逆らってはいけない。間違っていると思っても、動くと後が怖い。もし、別の事をし始める人が現れたら、バッシングしてしまう。・・・というように。
 これでは、大社会で奮起し、自分の考えを実践しようと小社会をつくってはみたものの、結局同じことの繰り返しなのではないだろうか。いつまで経っても、自分の本当に信じることは実行できないまま終わってしまいかねない。
 では、団結することはダメなのか。いやちがう。先の例にもあるように、一人で吠えているだけよりははるかに世の中に影響を及ぼせる可能性があるのは、団結することで生まれる。団結することにはそれだけの価値と意味があると思う。
 僕はこう考える。
 まず、団結して行動する場合、目指すものをシンプルにし、ひとつに絞ることが大切だ。2つも3つもと後に広げていくようなことは、絶対にあってはならない。服部くんの事件のときは、「銃規制」というたったひとつのことで、日本人の多くの人が団結できた。どんな方法かを問うことなく、目的だけが共通にされた団結力を発揮したのだと思う。
 ビートルズという有名なバンドがあった。はじめは、自分たちの音楽をつくろうと、ひとつの目的が共通したので団結できた。しかし、その後に別の目的を同じメンバーで持とうとしたが、それぞれの考え方の違いにより、解散したというのは有名な話だと思う。5人くらいのグループ活動ですらそうなのだ。
 よって、繰り返すが、「団結するときはひとつの目的のみ明確にする」こと。そして、「目的が達せられたら、その団体の同じメンバーで別の目的を立てないこと」である。
 団結する意味は大きい。自分の目指すものと同じ目的であれば、ぜひ団結して行動をするのがよいと思う。しかし、目標に向かう方法が自分と異なり始めたら、即座にその団体を去らねばならない。団体にとっても不利になるだろうし、なにより、自分の意見を曲げてまで団体内にいる必要はないのだ。
 世の中は、色々な不満があると思う。改革したいと思っていることも多くあるだろう。まずは一人ではじめ、仲間を増やし、目的を同じにする団体行動で、自分の考えを実現できたらすばらしい。そして、他にも自分が思う改革事項があったばあい、同じメンバー内ではなく、また一から仲間を集めることからしなくてはならない。これが大切だ。
 団結することの意味は、目的をかなえるという面ばかり主張されてよいように感じてしまうが、目的が達成された後に苦痛の集団となってはならない。そういうところまで考えて、団結できれば、さらに、自分たちの目的を実現できる方向に近づくのではなかろうかと僕は考える。

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