スーパーサイエンスハイスクールとは?

2004年8月18日 松野聖史

【要旨】
 平成16年度 岐阜県理化教育研究大会 に参加し、研究協議にての話題であった「スーパーサイエンスハイスクール」略して「SSH」について、発表者の質疑応答での意見が非常に印象的であったため紹介し、自分の考えを述べたい。
【キーワード】
 高校 理科 SSH スーパーサイエンスハイスクール サイエンスショー あり方

 今年度の岐阜県理化教育研究大会では、物理分科会では司会をした。各地区代表(?)の先生方による発表内容はとても参考になった。
 その分科会に入る前に、全体会にて「SSH」に指定された高校における取り組みの紹介を研究協議という形でなされた。そこから話をはじめようと思う。
 そもそも「SSH」とは何かというと、「スーパーサイエンスハイスクール」というものだ。このところの科学離れのなか、より精鋭部隊をつくろうというのか、全国的な組織が支援費を出し、各県に1〜2校の指定校にて実際に動き出して2年目(くらい?)になるものだ。高校大学の連帯を図り、最先端の科学を高校生に体験させたり、興味を持たせるのがだいたいの取り組みのようだ。予算も一千万円とかつくという話でなかなかしっかりした測定装置が手に入るというような印象を受けた。
 実際、発表された学校では、分光スペクトルメーターとスペクトル分析用の測定機器などを購入し(100万円以上もするらしい)、演示にて、電球のスペクトルや、セロファンを通した場合の光のスペクトル、発光ダイオードのスペクトルなどをその場で測定し、リアルタイムでの輝線スペクトルを見せていただき、とても興味深かった。
 また、その他の取り組みとして、その学校では、放課後や土日をつかって、大学の先生に長期にわたって指導をお願いし、1年生、そして2年生と科学に対する興味を育て、観察する目や疑問を持つ心の育成を狙って取り組んでいるとのことだった。
 こう述べてくると、「SSH」とは、大学の先取り講座なのでは思えてくる。実際、高価な測定機器があると、大学の研究室のような研究ができる可能性も出てくる。一般の高校にはそんなものはないし、お金もないので、ベースが違う。・・・などと、考えながら話を聞いていた。
 質疑応答のところで、発表担当の先生が次のようなコメントを主張された。とても印象に残ったので紹介しよう。「SSHというのは、最先端の科学を体験したり学んだりするような印象があるが、それは、SSHではないと思う。・・・(以下忘れた)」
 高校は大学ではない。たまたまお金があるだけで、最先端の研究の体験をして満足するようでは本来の高校の教育とはかけ離れてしまう。そんなようなニュアンスの話だった。
 たしかに、最先端の科学は、高校の教科書内容と比べるとまったくかけ離れていると思う。子ども対象に、わくわくサイエンスショーなどと称して、科学の面白さを伝えようとしている大半の取組みと同様に、その場限りの見世物で終わってしまう可能性が高いのではないか。
 実は、僕は常日頃感じていることがある。今述べた、サイエンスショーのあり方だ。
 「ほぉら、すごいだろう?」とか「わぁきれいだな!」などというようなその場限りの楽しみとしてのサイエンスショーは、子どもたちの科学に対する興味を本当に引き出してくれるのだろうか? ということだ。
 若者の科学離れが叫ばれてもう20年はたっていると思う。相変わらずの科学離れで、最近は、ずっと嫌われていた物理よりむしろ化学のほうが嫌われているというデータもある。世の中のサイエンスレンジャーの大先生方や、ボランティアのなんちゃってサイエンティスト(?)の方々があちこちですばらしいサイエンスショーをなさっているはずなのに、子どもにちっとも科学の楽しさが伝わっていないのではないのかと感じてならないのだ。
 そもそも、科学の楽しさとは何なのだろう? それは「探求する過程」なのではないだろうかと僕は思う。まずなにか現象を見て「不思議だな。」とおもったとする。そこで、「何でだろう?」と思って、その理由を聞くと「ふぅん、そうかぁ!」で、納得する。一見とてもよい流れがあるような感じを受けるが、これは、科学の楽しみがまったく味わえていないのだ。
 「不思議だな。」「なんでだろう?」ここで、簡単に理由を述べてはならない。結果は目の前で起きているので、自分で「間を埋める」ことを重視しなくてはならない。「最後はこうなるはずなのに何でこうなるのか・・・?」それを何時間も、何日も悩むことが大切なのである。有識者は知っているもんだから答えてしまうのだが、それがダメだ。サイエンスショーではこのあたりをどう扱っているのであろうか。
 <タイプ1>
 勝手にタイプわけをしてしまう。まずは、現象を見せて「すごいだろう!」で終わってしまうもの。説明もナゾかけも何もない。これで、「科学って面白い!」と果たして思うのだろうか? 言い換えると、こういう類のサイエンスショーは「手品」と何がちがうのか? 同じではないかと思う。手品のショーを見て「不思議だな。」と思うが、ショー自体がすごかったという印象しか残らない。それでは、子どもに科学の楽しさをこれっぽっちも伝えていない! サイエンスショーなどと名乗るのやめたほうがいい。
<タイプ2>
こちらは、現象を見せて「何ででしょう?」とナゾかけをし、その場で原理や理由を答えてしまうもの。最近こういった類のサイエンスショーはなかなか見ない。高校の授業が演示中心の仮説実験型を採用されている先生は、このタイプであるといえる。一見、ナゾかけもしているし、興味を持つのではないかと思う。しかし、ナゾかけから理由までの時間が短すぎるのである。自分でいろいろやってみて、いろんな仮説を立て、目の前の現象を説明できたとき、はじめて「科学って楽しいな!」と思うのではないか?
いろいろ述べてきたが、子どもに科学の楽しさを伝えるのは大変である。長期にわたって、自分から考えるように導き、その過程が科学の楽しさであることに気づいてもらわねばならないのだ。これを、サイエンスショーでもぜひ行わねば、科学離れはさほど変わらないのではないかと考える。
話がだいぶそれたように感じるかもしれないが、「SSH」における、大学の最先端の研究紹介も、このサイエンスショーと同じになってしまっては何の意味もないということだ。「スーパーサイエンスハイスクール」は最後まで「ハイスクール(高校という教育の場)」であることを念頭において、長期にわたる「探求の過程」に重視した指導をすべきだと強く感じた。
少なくとも、今回発表された先生がその点を主張されたのは、僕と近い考え方を持っているからなのかもしれないと思いうれしかった。

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